那覇市の地名 ~若狭の小地名:旭ヶ丘

ばんしゅる

2012年07月25日 21:11





波之上の東側にある岩礁地帯が、旭ヶ丘だ。
公園になっているが、戦前は只の岩場だった。

が、戦後、波之上宮が再建ままならない中、基地建設などで住む場所を追われた
人々の不法居住地区となり、問題にもなった所だ。

画像は、64年に公園化した際に建てられた観光名所の石碑だ。
波之上宮の再興が、戦後の沖縄人に与えた影響は大きかったのだろう。





ちなみに上の画像は、その除幕式の様子だ。

この旭ヶ丘なのだが、結構、見るべきところが多い。

沖縄では珍しい地蔵菩薩像(和光地蔵)があったり、沖縄戦で殉職した警官の慰霊碑
があったりする。

また、沖縄戦のなか、ギリギリまで新聞を発行し続けた記者達の記念碑がある。
その記者魂から、「紙ハブ」と呼ばれた男達である。

沖縄新報という戦前の新聞の記者達なのだが、彼らは南部で沖縄戦の全てを経験した
らしい。

そして戦後、彼らは沖縄タイムスを立ち上げることとなる。

このあたりの事情は、具志堅政治氏著「紙ハブ小のたわごと」に詳しい。

この旭ヶ丘、戦前は済出寺山と呼ばれていた。
語源は、護国寺と関係していそうなのだが、よくわからない。

でも旭ヶ丘なんて詰まらない名前よりは、よっぽどいい地名だと思う。


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