2012年07月17日
那覇市の地名 ~那覇港周辺 三重城

三重城は、ロワジールホテルの裏にひっそりとある。
石垣と琉球石灰岩の岩礁に囲まれたかつての海上に聳えるグスクであった。
王朝期は元より、戦後の一時期までここは、那覇港を出る船を見送る場所でもあった。
船上の愛する人に手拭(てぃさじ)を振りつつ涙すると言うドラマが、日々繰り返されて
いたに違いない。人によっては感慨深い場所だったに違いないのだ。
三重城は、那覇港から海上道路で結ばれていた。
四方が海であったのに今では、埋め立てにより南西部の岩礁地帯しか海に面していな
い。まったく、沖縄の埋めたって行政のひどさには参ってしまう。
周囲の石垣は結構、保存されているのだが、本来、三重城の駐車場である場所には、
ホテルの観光客目当てのタクシーが占拠してしまっている。
ホテルの従業員も利用しているようだ。ひどい話だ・・・
とはいえ、グスクの毛(低草地)には、水神様を始め複数の拝所が残り、拝みに来る人も
少なからずいる。海への信仰を持つ者の聖地なのだ。
琉薩戦争時には、砲台としての機能もあった。故に薩摩軍主力は上陸地点に選ばなか
った逸話もある。
だが本来は、海上交通の目印、いわば灯台代わりに利用されていたに違いない。
明治後すぐにここには灯台が建てられ、今も海上保安庁の信号所がある。
海上の要所だったのだ。
そこで三重城の地名の意味を考えてみたい。
以前は、那覇港の入り口で、那覇の海上の先にある事から「前城」が正式な名前だと思って
いた。
マエグスク → メエグスク → ミーグスクと音韻変化したものと思っていたのだ。
だが、灯台代わりの機能とミーグスクの「ミー」について考えている内に考えが変わった。
三重城と対岸の屋良座森城は、どちらも珊瑚礁の地形である干瀬の上に建つ。
簡単に言えば、満潮時に海面下になるリーフだ。
船はその間の船道を通るのだが、この船道は国場川の淡水が、琉球石灰岩のリーフを溶かし
て出来たに違いない。
無論、那覇築港以前から、船の抜け道だったであろう。
その様な船の抜け道を「澪(みお)」と言う。方音では「ミュー」もしくは「ヌー」。
ミーグスクの「ミー」はこの「ミュー」ではないか?
船道を定めるために作られたので、「ミューグスク」。
転じて、ミーグスク=三重城となったのであろう。
機能的にはこっちの解釈のが合っているように思うのだが。

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Posted by ばんしゅる at 10:26│Comments(0)
│那覇市